
プラレール海外展開の歴史
このページでは、日本国外でのプラレールシリーズがどのように展開され、発展しているのかをまとめています。
1950年代 / プラレール本当のはじまり
TOT Railroad(米)
まず、プラレールの海外展開を語る前に、プラレールの本当の起源をお話しする必要があります。もちろん、プラレールそのものは日本で生まれ、日本で育ってきた鉄道おもちゃです。しかし、プラレールの「基」となった鉄道おもちゃは、日本国外で誕生しました。
タカラトミー公式によると、1959年に「プラスチック汽車レールセット」を富山商事(現タカラトミー)が発売したことから、プラレールの歴史が始まったとされています。その際、「レールサイズは曲線レールを8本繋げて一つの円にするときにちゃぶ台の卓上に収まるように設計した」と説明されることがほとんどです。
一見すると「富山商事が独自にレールを設計した」ように書かれていますが、この点についてはマニアの間ではほぼ否定されています。少なくとも、プラレールのレールシステムが米国で完成されていたことはほぼ間違いありません。
プラレール規格の本当の始まりは、1950年に米国の”Keystone Manufacturing Co.”(キーストーン工業)から発売された「KEYSTONE “TOT” RAILROAD」だと考えられています。
https://www.oldwoodtoys.com/keystone.htm
上に古い米国のおもちゃを紹介しているウェブサイトのリンクを添付していますが、リンク先の写真には、現在のプラレールと明らかに似たようなレール部品が映っています。このおもちゃ以前に、プラレールのようなレールシステムや形状を持つ玩具は見つかっていないことから、「KEYSTONE “TOT” RAILROAD」が2025年現在、プラレールの最も源流にある玩具であると考えられています。では、その後、このTOTシリーズがどのようにしてキーストーン社からトミー社に移り、現在のプラレールになったのでしょうか。
1958年、キーストーン社が玩具事業から撤退します。鉄道玩具のTOTシリーズは同じ米国のPLAYSKOOL(プレイスクール)社に権利が移され、同シリーズはプレイスクールから引き続き発売されることになります。この際、トミーがプレイスクールから委託される形で、日本国内でTOTシリーズの生産を開始したと考えられています。これが、トミーが鉄道玩具事業に進出するきっかけとなりました。これを機に、TOTシリーズの日本国内での販売も開始されます。
この日本版TOT RAILROADは「ハイウェーセット」と呼ばれ、高速道路に見立てた青いレールの上を車のおもちゃが走るものでした。そして、翌年の1959年に、このセットを鉄道車両に変換したセットが発売されます。
これこそが、プラレールの祖「プラスチック汽車レールセット」です。
この時期に、TOTシリーズのライセンスが米国のプレイスクール社と日本のトミー社に分離されました。この分岐を機に、TOTシリーズは日米で別々の道を歩むことになります。米国では、TOTシリーズの販売が継続されたものの、しばらくして撤退しました。一方、日本では1965年に「プラレール」という名称が与えられ、鉄道玩具の王様として成長を遂げました。
まとめると、「プラレール」はもともと米国生まれのおもちゃであり、それが輸出先の日本で大きく発展したのがプラレールの本当の歴史ということになります。ここから先、プラレールの世界展開について記述していきますが、特にアメリカでの商品展開については、いわば先祖返りといったところでしょう。
1960年代 / 繰り返される欧米進出と撤退
1960年代も中盤になると、「プラレール」の名称が生まれ、日本国内での地盤も安定してきます。そこからトミーはさらなる市場を求めてプラレールを海外に送り出していきます。
Double-O-Eight Runaway Train(米)
確認されうる限り、初めてプラレールが海外に輸出されたのは1964年のアメリカでした。Child Guidance Toys社提携の元、「Double-O-Eight Runaway Train」を北米地域で発売しました。
車体は0系の塗り替えで、水色に整形されていたのが目を惹きます。レールは赤色で線路幅以外の規格は提携先独自のものと考えらます。売れ行きは不明ですが、1964年の北米進出はこの0系セットの単発で終了しました。
プレイクラフト(英)
詳しい年代は不明ですが、1960年代後半にはイギリスでもプラレール規格の製品を展開しています。こちらは現地の「プレイクラフト」という会社と提携のもと展開しおり、日本製ではなく、英国でわざわざプラレールの車両を作っている不思議な状況になっています。こちらも売れ行きやその後の展開は不明です。
スポンサードリンク1970年代 / トミーの海外法人設立
1970年代はトミーにとっても大きな変革期であり、1970年の香港を皮切りに、1973年に米国法人を設立するなど、トミーにとって本格的な世界進出が始まった時期です。しかし、海外事業が不安定だったためか、しばらくは現地法人と手を取り合ったり離れたりを繰り返すことになります。
Playrail(米)
1960年代は現地の玩具メーカーを通したり、現地生産を行ったりしてプラレールの流通を行っていましたが、1970年代からはトミー単名でのプラレール規格の商品が欧米圏で販売されます。そのトミー単独名義で発売されたプラレールが「Playrail」です。当時日本でも展開していた低年齢向けプラレールセット「プラレールランド」やD51のセットなどが海外パッケージに換装されて販売されていたようです。
stelco junner express(独)
1970年代後半になると英語圏以外にもプラレールが輸出されていきます。同時期にトミーはドイツのシュテルコ社と提携し、stelco junner expressとして、プラレールセットをドイツ国内で販売します。車両のモデルはEF58やC12。製品はドイツ国内で生産されており、モーターの構造が日本と全く異なります。ちなみに、シュテルコ社は1979年にトミー本体に吸収されたそうです。
Palitoy社提携品(英)
1970年代〜1980年代にイギリスのPalitoy社との提携にていくつかのプラレール製品がイギリスに展開されていたようです。ブログ主が確認できる中では、本家の直輸入として“Log Delivery Train Set”、プラレールランドシリーズの“Merry-Go-Train Set”があります。他にもいくつかPalitoy社が販売元になっているプラレールセットがあるみたいです。なお、製造国は台湾になっています。
1980年代 / トミー単独での海外挑戦
1980年代はトミー単独ブランドでの海外展開が目立ちます。とはいえ、現地では長続きはせず、試行錯誤の日々が続きます。
TOMY TRAINS(英語圏)
上記のPalitoyは1984年に事業を縮小したらしく、その後入れ替わるように“Tomy Trains”というシリーズが登場しました。こちらはトミー単独名義のようです。
レールシステムはプラレールと同じですが、車両や情景部品が本家より大きめに作られているのが特徴です。
TOMY-EXPRESS(独)
ドイツにてトミーが単独で展開していたシリーズ。詳しい年代は分かりませんが、モデルの車種から察するに、1980年代後半に展開されたシリーズだと考えられます。プラレールのレールが日本より濃い青で、前述のstelco junnier expressと非常に似ていることから、おそらくstelco製品の流れを組むものだと考えられます。0系や100系の車両が同梱されたセット商品が販売されていました。
PLAYRAIL(スペイン)
1980年代にはスペインでもプラレールが発売されていました。発売元はヘイパー社で、同社が倒産する1986年まで展開していたものと考えられています。車種は名鉄パノラマカーとD51。
数ある海外プラレールの中でも特に詳細が分かっておらず、マニアから実態解明が強く求められているシリーズです。
1990年代 / 本格的な世界進出の開始
1990年代にバンダイに次ぐ国内2位の玩具メーカーになり、そしてプラレールブランドの確立がなされたことから、いよいよトミーはプラレールの本格的な海外進出を行うようになります。
1990年代におけるプラレールの世界展開の特徴といえば、なんといっても中国や韓国といったアジア市場に進出し始めたことであり、急成長しつつあるアジア地域にコミットしようというトミーの戦略が伺えます。
陪樂兒 火車世界(中)
1997年前後に中華人民共和国内で発売されたプラレールシリーズです。車両単品の金型は「ディーゼル特急」「レッドアロー号」「ビスタカー」が選ばれていますが、ギットギトな原色カラーに塗られているのが特徴です。
セット製品もあり、単品製品と同じ金型の車両か使われていますが、塗装は実車よりのものが採用されています。
1998年に中国市場から一旦退いたようです。
TOMICA WORLD(英語圏)
1990年代を代表する欧米向けプラレールブランドが“TOMICA WORLD”です。その名の通り、トミカと一体となって展開されたブランドで、プラレールとモータートミカで構成されています。
日本の製品をそのまま欧米パッケージに置き換えたものも多くありましたが、中には新規金型や塗装に刷新された製品もあり、日本にはない独特のラインナップを形成していました。
Thomas & Friends(韓)
1990年代からは韓国にもプラレールを展開していきます。といっても、トーマス関連の商品を現地のライセンス企業を通じて販売していたにとどまっており、「プラレール」や「トミカ」のブランド名は使用していません。
以降、2025年現在まで変わらずプラレールとは別のブランドとして商品展開されています。
スポンサードリンク2000年代 / 急拡大するアジア市場
まだ手探りだった1990年代から進んで、タイや香港、台湾といった新天地を開拓していきます。
一方で欧米圏では迷走が続き、好調だったトーマスシリーズはタカラトミーから離れて別の歴史を歩み始めます。
PLARAIL(タイ)
プラレールの生産国として知られるタイ王国ですが、こちらでも現地限定のオリジナルセットが販売されていました。首都バンコクを走る地下鉄”BTS“をモデルとしています。簡単な線路パーツのみで構成されたセットとそれに駅舎やヤシの木などの情景部品を加えた豪華セットの2タイプが2005年に発売されました。
これ以降のタイ王国オリジナルプラレールは販売されていないようですが、日本国内で販売されているものと同じ製品が大型百貨店などで販売されています。
Plarail(台湾)
2007年、台湾版新幹線“台湾高速鉄道”が開業しました。台湾の交通体系が大きく変化した歴史的な出来事ですが、鉄道玩具の世界でも大きな変化がありました。
同年の2007年に台湾高速鉄道700T型を模したプラレールのセットが発売されたのです。

©️Darrencycheung (CC BY-SA 4.0)
以降、台湾は地下鉄車両や普悠瑪号、タロコ号など数多くの現地車両が製品がされていきます。現在でも台湾限定の新製品が出るなど、プラレールの一大消費地に成長しています。
港鐵載客列車(香港)
台湾と並んで海外プラレールの発展しているのが香港です。2009年に香港地下鉄MTRをモデルにした製品が発売されました。現地での商品名は“順港鐵載客列車”。以来、地下鉄の車両が継続的に発売されています。
2022年には香港と中国本土を結ぶCRH380A型「動感号」が発売されています。
Thomas Motor Road and Rail(英語圏)
TOMICA WORLDについて実車系製品は苦戦していましたが、「トーマスシリーズ」については好評だったようです。それを受けて2003年にTOMICA WORLDからトーマスシリーズが分離する形で「Thomas Motor Road and Rail」が登場します。
Thomas TrackMaster(英語圏)
2007年に「きかんしゃトーマス」の権利を持っていたHITエンターテイメントが、米国におけるプラレールトーマスの製造権をタカラトミーから買い取りました。これに伴い、英国および米国でのプラレールトーマスブランドが「Thomas Motor Road and Rail」から「Thomas TrackMaster」に変更となりました。
権利譲渡により規格がタカラトミーの手から離れたため、TrackMasterシリーズは徐々にプラレールとは異なる仕様に変更されていきました。ブランド名が変更された直後はプラレールとTrackMaster線路がつながるようなアダプターもあり、ある程度の互換性がありました。しかしHITエンターテイメントもアメリカ最大の玩具メーカー“マテル”に吸収されます。これに伴い2014年に仕様を刷新。プラレールとTrackMasterは完全に互換性を失い、両者は日本と米英国で別々の道を歩むことになります。
2010年代 / 欧米での苦戦とアジアでの躍進
2010年代は地域によりプラレールの隆盛がくっきりと分かれた時期になります。1960年代より断続的に続いていた欧米展開は、2013年に事実上終了。ブランドを変えたTrackMasterがプラレールの忘れ形見として英語圏で根付くことになります。
一方で、韓国や中国、台湾などのアジアでは現地の車両をモデルにしたオリジナル製品が販売されるなど、堅調な発展が続いています。
TOMICA HYPERCITY(英語圏)
トーマスシリーズがプラレールから分離したことを受けてなのか、TOMICA WORLDは“TOMICA HYPERCITY”に再編成され、2010年より欧米での展開が開始されます。
基本的に日本の製品をそのままパッケージ換えしたか、塗装・仕様を違和感のない程度に変更したものだったみたいです。
2013年に展開終了となり、以降欧米圏でのプラレールブランドの展開は途絶えてしまいました。
普乐路路(中)
2004年には中国市場へ再展開。この時はまだ日本の車両やきかんしゃトーマスのパッケージを中国語に置き換えただけでした。
しかし、2010年に「CRH2型 和諧号」をモデルとしたオリジナルセットが発売されます。上海万博や日本のプラレール博などイベントにて限定発売されました。
この和諧号セット以降、中国オリジナルのプラレールは販売されていませんが、プラレールそのものの展開は中国国内で続いているようです。
프라레일(韓)
韓国では細々とトーマスシリーズが輸入されていましたが、2011年より現地の玩具メーカーである「孫悟空」を通じてプラレールの流通が始まります。
しかし、権利問題で孫悟空とは袂を別つことになり、代わりに先行して韓国に進出していたタカラトミーアーツ(タカラトミーのカプセルトイ部門)にトミカ・プラレールの流通を委託するようになります。
そして2019年、韓国オリジナルの韓国高速鉄道KTXをモデルとした車両製品が発売されました。これ以降も韓国では堅調な展開を見せているようです。
参考文献
くらテク IT media NEWS “「プラレール」初の中国車輌「CRH2型 和諧号」、上海万博で販売“
なゆほ、プラレール資料館
でろい、だらだらプラレール日誌
Wikipedia、プラレール(英語版)
名誉会長、上武樹脂鉄道振興会